22年シーズンを振り返ってみると「名塚レノファ」って結構強かったと感じた件。

明けましておめでとうございます。

 

 

いやー、気が付いたらもう2023年迎えてましたよ。

 

 

皆さんは年末年始ナニしてました?

 

 

私は前回の記事を書いて以降、権藤→権藤→雨→権藤のペースでゲーム→ゲーム→映画→ゲームの鬼畜ローテで休日を満喫してたら気が付くと今日になってました。

 

この鬼畜ローテで連投してる間にもレノファ関連のニュースはちゃんとチェックしておりましてですね。

 

菊地光将氏がレノファのアカデミーコーチになったり、佐藤健太郎氏がレノファのスカウト部に入閣したり、と、渡部社長爆誕に続き小山式面白人事が連射されてましたな。

 

 

「選手本人が望めばではありますが、元サッカー選手のセカンドキャリアにサッカークラブが含まれないなんて、仕組みとしてあんまりだし、山口という地域のサッカー環境も全く進化しません。」

 

 

小山会長が自身のnoteで書かれた「プロサッカー選手のセカンドキャリア」に関して、何というんでしょうか、有言実行人事をお披露目してくれましたね。

 

レノファ山口FCの経営体制強化について|小山 文彦|note

 

菊地 光将氏 レノファ山口FCアカデミーコーチ就任のお知らせ | レノファ山口FC (renofa.com)

 

佐藤 健太郎 氏 レノファ山口FC 強化部スカウト担当 就任のお知らせ | レノファ山口FC (renofa.com)

 

 

この一連を見て「相変わらずレノファは”クラブ”としては面白いけど”チーム”としてはつまらんよなぁ」とかウネウネ思ってたんですけど、昨日、とんでもねぇリリースがありましたね。

 

 

矢島 慎也選手 大宮アルディージャより完全移籍加入について | レノファ山口FC (renofa.com)

 

 

矢島がレノファに来るってよ・・・。

 

 

おいおいおいおい。

なんだい、これは?

 

レノファは何故獲れた?

大宮は何故放出した?

 

 

色々意味が分かりませんが、レノファがウホウホでムキムキの「補強」をかましてくれました。

 

矢島ってウタカとかオルンガみたいな分かりやすさは無いかもですが、普通に「(J2)リーグ均衡ぶっ壊す」レベルの選手ですよね?

 

群馬の10番の選手ブッコ抜いたり、いや、ホント、レノファはいよいよ”チーム”としても面白くなる可能性を感じられるようになりましたなぁ・・・。

 

 

 

 

と、まぁ、既に色々掘り下げたい話題に欠かない23年レノファですが、それは一回置いとこ?

 

私にはやり残している宿題がある!

 

 

それが「名塚さん、ごめんなさいでした」記事を書くことや。

 

 

チッ、めんどいな・・・。(ボソッ)

さっさと書いときゃよかった・・・。(小声)

 

 

以前は多忙と風邪で記事を書くためにインプットしたこと忘れ、最近は休日の鬼畜ローテを回ってたせいで忘れ、なんかもうどうでもいいかなぁ~、なんて思ってたんですけど、それでも「矢島注入」でモチベーションとパッションを立て直しまして、再び「22年シーズンの名塚監督(と選手)の全試合後コメント」と「22年シーズンのレノファの全試合ハイライト」を見て参りましたよ。

 

多分、ですけどね。

 

23年の現時点で私ほどレノファの公式サイトの「試合日程結果」を閲覧した人おらんよ・・・。

 

年始の浮かれた雰囲気の中イカレタ作業を続けた私はおそらく狂人にカテゴライズされるでしょうな。

 

 

 

 

ま、そんなことはどうでもいいんですよ。

 

「22年シーズンの全試合後コメント」と「22年シーズンのレノファの全試合ハイライト」を見て「22年シーズンのレノファって実は強かったんじゃね?」と感じましてね。

 

22年のレノファの強みと弱み、シーズンが進む連れてどうしようもなく出て来る課題、その課題に名塚監督はどう対処しようとしたのか、そもそもレノファというチームが抱えていた根本的な問題、こういったものが見えて来たんですよ。

 

シーズン中にはこのブログにてボロカスに叩き倒した「名塚監督」。

 

対策の対策を打てないとか、戦術的優位を相手に取られてるのに取り返そうとしなかったり、なんか見ていて勝つ気を感じさせない凡将という印象だったんですが、年始のイカレタ作業をこなしていくにつれ、こういった印象がガラリと変わりました。

 

今では「21、22年叩き倒してすんませんでした!」「23年マジで頑張ってください!」と思っております。

 

 

 

 

今回の「名塚さん、ごめんなさいでした」記事にはいつも以上に私の所感が多く含まれるでしょう。

 

 

-異論!大いに結構!

 

 

「それは違うやろ?」で物申したい方がいらっしゃいましたらコメントかTwitterで教えてプリーズ。

 

もちろん異論だけでなく「そうだね!」的な発信も大歓迎。

 

多分歓喜の汁がほとばしるので私を汁まみれにしちゃいなよ。

 

 

ってことで、本題に挿ってイクよぉ。

今年もよろシコシコ。

じゃ、イク~。

 

 

 

 

まず、「22年のレノファの全試合ハイライト」を見て感じたことを書いていきます。

 

まぁ、ハイライトなんて”得点と失点の詰め合わせセット”みたいなもんで、レノファの場合ですとそこに”関のスーパーセーブ集”のおまけが付く代物だとは思うんですよ。

 

サッカーを見る上でハイライトで分かる”結果”よりも、しっかりフルタイム試合を見て”内容”を精査した方が評価の確度は上がるし高いものでしょう。

 

が、それでも一チームのシーズン全試合をハイライトで見てると気が付くこともあるんですよね。

 

その気付きをまずは書かせていただきたい。

 

 

試合の”内容”は置いといてハイライトで”結果”だけを見ると、22年のレノファって「完敗と言えるのは26節の新潟戦」くらいのもんなんですよね。

 

9節の仙台戦も完敗と言えなくもないかなぁ、ではありますが、シーズン42試合やって完敗の印象が残るのは言うてこの2試合だけ。

 

他の試合で勝ったり負けたり引き分けたりしてますが、負けたり引き分けたりの試合の多くは「惜しかったねぇ」なものだったんですよ。

 

後ほんの少しの匙加減で負けたり引き分けたりした試合のほとんどが、勝ちに転んでてもおかしくなかった印象だったんですよね。

 

 

で、ハイライトで22年のレノファの全試合を見てみると、レノファの22シーズンっていくつかの時期に分けられるな、と思いまして。

 

それが↓

 

 

・橋本、渉、沼田の「左のトライアングル」が猛威を振るった時期

 

・離脱者が爆増した時期

 

・3バックに変更した時期

 

・なんだかんだで全てを失った時期

 

 

かなり大雑把にこの4つの時期に分けられるかな、と。

 

めちゃくちゃ大体でまとめてしまうと、22年シーズンは19年シーズンとほぼ同じ軌道を描いてるように感じられるんですよね。

 

「”4-1-2-3”」発「”3-4-2-1”」経由「”4-2-3-1”」着。

 

システム変更の流れ、そして「”3-4-2-1”」だとやたら戦績が良い(得失点差+)のも似てるなぁ、っていう。

 

19年のその翌年、20年のレノファは最下位に沈んじゃったわけですが、その19年とよく似た軌道を辿った22年の翌年となる今年、23年のレノファも最下位に沈んじゃうのか、っていうと、そんなことは無いだろう、と思います。

 

22年シーズンにレノファが経験した4つの時期をざっくりとまとめ、今年のレノファが20年よろしく最下位を記録することは無いだろうと思う理由と、今年は去年「惜しかったねぇ」だった試合を勝ちに転ばせることが出来るかもしれないと思う理由を書いていきます。

 

 

 

 

【橋本、渉、沼田の「左のトライアングル」が猛威を振るった時期】

 

 

シーズン序盤から中盤ちょい前くらいの時期です。

 

22年は「”4-1-2-3”」でスタートしたレノファ。

左SB・橋本、左IH・田中渉、左WG沼田の「左のトライアングル」が躍動してました。

 

夏ごろにレノファは「夏季限定ユニフォーム」を発売しましたが、中間発表ではこの3人が売り上げの1、2、3位と、その活躍はレノファサポーターの心を奪ってましたね。

なんてったってほっときゃ勝手にチャンス作って点まで決めてくるんですから、22年のレノファの超ストロングポイントでした。

 

強すぎる左サイドの裏で、右サイドの攻撃が死んでたんで右SBのレギュラー争いが「守備の眞鍋・攻撃の石川」になってたのが懐かしいです。

結局「右SBは真鍋か石川か論争」に終止符を打ったのが生駒、っていうね。

 

 

この最序盤期に訪れた課題としては「強すぎる左サイド・弱すぎる右サイド」が挙げられ、この点に関しては右SBに競争を促し「生駒が収まった」という成果を上げられてました。(18節頃の話)

 

 

ちなみに、ちゃんと勝ち点を計測してないんで完全に私の印象で書くんですが、この「左のトライアングル」が猛威を振るうのには条件があるように見受けられましてね。

 

 

それが「中盤が謙介・渉・池上」の時。

 

 

なんでかは全く分からんのです。

ただ、ハイライトで見てると「左のトライアングル」+「謙介・池上」が先発してる時ほぼ負けてない印象なんですよ。

悪くて引き分け、みたいな。

ちゃんと計測したらそんなことないのかもですが、印象としてはこの合計5名が先発してる時マジで強かった。

 

 

この時期はチームとして「WG 対 相手SB」の1対1の状況を多く作れてましたし、クロスもバンバン上がり、ボックス内に侵入していく選手たちも多く、18年の霜田レノファにかなり近かったのではないでしょうか。

 

「プレス」の際、IHがズレて相手SBにチェックしたり、SBが突撃して来たり、と、ハーフライン付近や相手陣地の深い位置でボールを奪える機会が多く、霜田味が復活してました。

 

 

シーズンの出だしとしては最良の滑り出しだった22年シーズン。

 

躓き始めたのは8節頃からなように思います。(早すぎぃぃぃ)

 

このくらいの頃からレノファは緩やかに次の時期に移行していきます。

 

 

 

 

【離脱者が爆増した時期】

 

 

8節の大槻負傷以降、レノファは台所事情が徐々に苦しくなり始めます。

 

シーズン前はCFに岸田、大槻、河野、梅木の4人を用意していたレノファですが、8節以降は岸田しかいなくなります。

 

大槻は8節に負傷、河野は21年の負傷で出遅れ、梅木は開幕戦で負傷。

 

8節以降はCFに岸田、兒玉、大ちゃん、山瀬、池上を起用する機会が増えて来たわけですが、これがマジできつかった。

大ちゃんがCFとして大活躍した、という意外な結果を生むことになったわけですが、この8節以降を境に「選手起用」が難しくなっていったんですよね。

 

 

後でまた言及しようと思ってますが、22年のレノファは名塚監督曰く↓

 

 

「やろうとしているサッカーは強度が高いサッカーで、自分たちからボールを奪いに行くサッカーです。」

 

「インテンシティーも高くなりますので、コンディションが悪い選手では戦えないという意味です。」

 

 

っていう、強度を重視し

 

 

「トレーニンからしっかりとやっている選手を常に選んでいますので」

 

 

という選手選考の下戦っていくことを決めてたチーム。

 

 

そんな中、梅木、大槻、池上、吉岡と、順番は正確に覚えてませんが負傷やコロナで離脱選手が爆増してしまったのは大打撃でした。

 

22年、レノファが強かったのは「”4-1-2-3”」で「左のトライアングル」+「謙介・池上」が揃った時。

 

緩やかにこのセットが組めなくなっていき、かつ、選手の離脱で試合のローテーションも難しく、試合後半に入れたい選手も居なくなっていく(足りなくなっていく)という地獄。

 

 

「やろうとしているサッカーは強度が高いサッカーで、自分たちからボールを奪いに行くサッカーです。」

 

 

このサッカーを一年同じ選手で続けるのには無理があるため

 

 

「トレーニンからしっかりとやっている選手を常に選んでいますので」

 

 

という選手選考にしたはずですが、そもそもの選手の数が減ってしまう、っていう、名塚監督が選べる選手がそもそもテーブルに乗らなくなってしまっていく苦しさ。

 

 

とはいえ、そんな状況下でも島屋や石川をウイングで起用したり、なんとか戦力の掘り起こしを行っていた印象です。

 

本来、島屋は開幕戦やその後の試合での起用のされ方を見るに、22年はIHで計算されてたと思うんですよ。

が、これが思いの外ハマらなかった。

21年、シャドーで起用されてた時を鑑みればIH起用もハマるはずだったんですけどねぇ。

なんかハマらんかった。

 

8節以降の大槻離脱から始まる選手の大量離脱も、緩やかにレノファが減退していった要因だとは思ってますが、この「島屋がIHで思いの外ハマらなかった」のも減退の要因の一つなのかな、と。

 

開幕戦やその直後の試合を見る限り、22年のレノファの中盤は↓

 

 

アンカー → 謙介・神垣・健太郎

 

右IH → 池上・山瀬・島屋

 

左IH → 田中渉

 

 

の7人で回す予定だったように見受けられまして。

 

実際は渉が休みの試合やCFに池上や山瀬を起用した時は健太郎や神垣がIHやってましたけどね。

 

この内、時期はズレますが、池上、神垣、が負傷で離脱し、島屋は16節を境に完全にWG起用に変わりまして。

 

中盤に3枠あるのに全然選手が足りなくなっちゃったんですよね。

 

やりたいのは強度の高いサッカーであるはずなのに、それを実現しうる”層”が薄いのなんのって。

 

島屋がIHからWGへ起用変更され、若干石川がIHで起用される機会がありましたが、大体において島屋と一緒にWG起用されてたのでIHの選手数はマイナスになってしまっていた、っていう。

 

 

そんなこんなで苦しいシーズン中盤を過ごして、なんとか崩壊寄りの持ちこたえを見せていたレノファ。

 

若干離脱選手が戻って来たと思ったら今度は橋本が離脱しちゃいました。

これが大体26節頃。

 

 

救われない、報われない22年のレノファですが、この頃くらいに高井さん、前ちゃん、成岡の加入が発表されます。

 

で、このくらいのタイミングでレノファは次の時期を迎えます。

 

 

 

 

【3バックに変更した時期】

 

 

遡れば19節の横浜FC戦で、右WGの石川を最終ラインに戻す5バックを披露していた22年のレノファですが、29節仙台戦で試合のスタートから明確に3バックに変更しました。

 

このくらいの時期から寺門と高橋が試合に出始めますね。

 

ちなみに、26節、完敗した新潟戦では

 

 

「4枚でもしっかりスライドして守れるようにならないことには、今やっているサッカーは成立しません。」

 

 

とコメントしていた名塚監督が、29節後に

 

 

「今いるメンバーでどうやったらしっかりとプレッシャーを掛けられるか。そういう部分を考えが中でそういうシステムにしました。ただ攻撃になれば立ち位置を変えて4-3-3になる。
そういうことも用意した中でやっています。(プレッシングは)本当は4枚でも対応できれば良いのですが、ここ3試合は難しくなっていました。ただやることは変わらないです。ウイングバックも縦ずれすれば4枚になりますので、そこでやることは変わらないと思っています。」

 

 

とコメントしたのには感慨深いものがあります。

 

私は名塚監督に対して「”出来る”よりも”やりたい”が先行している」という印象を持っていたんですが、”出来る”と”やりたい”のバランスに結構苦慮されてたんだなぁ~、と・・・なんかごめんね。名塚はん。

 

 

ほんで、ですね。

 

 

個人的にはこの29節の仙台戦が今年のターニングポイントだったのかなぁ、と思ってまして。

 

 

布陣を「”3-4-2-1”」に変更したことによって、沼田が死んだんですよね。

 

 

いや、戦力的にやで?

 

もう少し言及すると、22年シーズン序盤に猛威を振るった「左のトライアングル」がこの時を境に解体されたんですよね。

 

29節以降、シャドーに沼田を起用してみたり、渉を起用してみたり、前ちゃんをボランチで起用してみたり、成岡が大ハッスルしたり、なんか、まぁ、色々試行錯誤を感じさせてくれる采配を名塚監督が見せてくれてましたが、名塚監督による22年の「”3-4-2-1”」が完成したのが37節の琉球戦。

 

 

この試合のスタメンは↓

 

 

GK・・・関

 

DF・・・高橋、生駒、前ちゃん

 

MF・・・吉岡、謙介、渉、橋本

 

FW・・・池上、梅木、高井さん

 

 

右から見てこの配置でした。

 

この配置を見て改めて思ったんですけど、これって「2019年霜田式”3-4-2-1”」じゃないッスか?

 

あの時の塾長の「”3-4-2-1”」って↓

 

 

GK・・・吉満

 

DF・・・前ちゃん、楠本、菊池

 

MF・・・大ちゃん、三幸、吉濱(佐藤健太郎)、瀬川

 

FW・・・池上、山下(宮代)、高井さん

 

 

右から見てこんな配置だったんですけど、全く一緒では無いものの、ほぼ一緒やんけ、っていう。

 

22シーズンのスタッツを見比べると楠本と生駒ってほぼ同一人物ですし、前ちゃん=前ちゃん、菊池=高橋(高橋に菊池になってほしい願望起用)と、前ちゃんが19年と22年で左右逆になってる点はありますが、なんか似てるな、と。

 

他のポジションの選手たちも、ちょっと特徴の違いはありますが大枠一緒じゃね?っていう。

 

 

とは言え、「22年名塚式”3-4-2-1”」は

 

 

「ただ攻撃になれば立ち位置を変えて4-3-3になる。」

 

 

のが特徴。

 

 

先ほどの布陣から↓

 

 

GK・・・関

 

DF・・・高橋、生駒、前ちゃん、橋本

 

MF・・・池上、謙介、渉

 

FW・・・吉岡、梅木、高井さん

 

 

に変形するので、一概に比較は出来ないのでしょうね。

 

「22年名塚式”3-4-2-1”」は見方を変えれば「”4-1-2-3”」が左肩上がりになった姿、とも言えると思います。

 

「左CB・前ちゃん」というのがちょっと気持ちが良くない、というか座りが悪い、って感じがするんですが、まぁ、言うて前ちゃんは19年に右CBで菊池とCBコンビ組んでますし、なくなくなくなくは無いのかな、と。

 

 

29節から3バックに変えて、座りがいい布陣になるのが37節。

 

ちょっと時間かかりすぎでは?と感じなくも無いですが、塾長ならそのまま迷子だっただろうな、って思うので、辿り着いただけでも称賛に値しますよ。

 

で、大体40節以降くらいを境に次の時期に差し掛かり始めます。

 

 

 

 

【なんだかんだで全てを失った時期】

 

 

ごめん。

これ言い過ぎですわ。

今更書き直すのメンドイからフォロー入れつつこのままイクね。

 

 

「22年名塚式”3-4-2-1”」から、40節大宮戦を経て、レノファは41節から布陣を「”4-2-3-1”」に変えました。

 

これが大当たりして12回目にして長崎相手に初勝利を収めるわけですが、42節千葉戦では大敗(完敗ではない)。

 

今にして思うんですが42節の千葉戦って、千葉の「”3+2”」の「ビルドアップ」に対してレノファはずっと「梅木と渉」の「”2”」で追いかけ回ってたんですが、普通にボランチの成岡が一列前に出て「”4-1-4-1”」で対応してたら流石に3失点は喰らわなかったと思いますし、もう少し試合の主導権を握れてたはずだと思うんですよね。

 

 

レノファが22年「”4-2-3-1”」の布陣で戦ってた時って、「プレス」の際、大体トップ下の選手が一列前に出ての「”4-4-2”」変形で行ってたと思うんですよ。

 

私の記憶が正しければボランチが一列前に出ての「”4-1-4-1”」プレスはやったことなかったんじゃないかな?と。

 

これも後で言及しようと思ってますが、名塚監督は

 

 

「ただ、まだベンチが言っているくらいですので、やはり僕が言っていてはダメです。」

 

 

と7節後にコメントしてたり、3節後の大槻が

 

 

「フォーメーションを変えたのは良かったですが、前半で自分たちで修正しないと危ないシーンが多くありました。試合の中で変えられるようになっていきたいと思います。」

 

 

とコメントしているように、「名塚レノファ」はピッチ上で起きる問題を「ピッチ上の選手たちが解決する」ことを望んでるように感じられるんですよね。

 

だから最終節、相手の「”3+2”」の「ビルドアップ」への対応が遅れてたのかな、と。

 

名塚監督としてはピッチ上の選手たちが解決してくれることを望んでたと思うんですが、最終的には

 

 

「結果論ですが、正直、途中で変えようかという相談もしていました。」

 

「ただ、ボランチを抑えにいくことが大事でしたので、中盤の形を変えて最後まで行きました。」

 

 

と、しびれを切らして指示出したみたいですがね。

 

 

もう少し「”4-2-3-1”」慣れしてたら、多分最終節千葉相手に「”4-1-4-1”」変形して「プレス」に行けてたんじゃないかなぁ~、と。

 

この辺の「ピッチ上の問題をピッチ上の選手たちに解決させる」やり方の是非は私にはもう分からん。

 

ただ、思うこととしては、「”4-2-3-1”」から「”4-1-4-1”」変形からの「プレス」なんてほぼやったことないんだから、指示くらいサッと出してやれよ、とは思いますがね。

 

最終節はシーズン最多の入場者数だったわけですし、選手に考えさせる方針は分かりますが、それよりも「勝利」の方が大事だったのでは?っていう。

 

 

流石に「ブレていいよ・・・」って言いたい・・・。

「来年からまた頑張ろうぜ・・・」って・・・。

 

 

 

 

22年シーズンは「”4-1-2-3”」「”3-4-2-1”」「”4-2-3-1”」の布陣で戦ったレノファですが、どの布陣でも軸は「”4-1-2-3”」だったのかな、と。

 

結局「”4-1-2-3”」に変形してましたし、変形後選手の座りがいい配置になってたら強かったし。

 

最後最後の最終節で「”4-2-3-1”」から「”4-1-2-3”」への変形が上手くいかなかった、っていうのが心残りだったな、って。

 

 

 

 

シーズンをトータルで見ると「選手層の薄さ」が22年の課題だったと感じました。

 

が、逆に言うと、これだけ層が薄く苦しんでいたのにもかかわらず「完敗は26節の新潟戦。後強いて言えば9節の仙台戦」くらいで、他の負け・引き分け試合は「惜しかったねぇ」まで持っていけてたのが「22年の名塚レノファ」。

 

 

-え?結構すごくね?

 

 

っていう。

 

 

今年、23年の新シーズン、22年のレノファを彩ってくれた「左のトライアングル」が綺麗サッパリ移籍で解体されたわけですが、小林SEY!GO!に矢島、琉球から来た沼田が新たに「新・左のトライアングル」を形成してくれることでしょう。

 

「旧・左のトライアングル」よりかはビックリスーパープレーが減るでしょうが、普通に考えて「新・左のトライアングル」の方が基礎技術が上でしょうから、左サイドのマイナスはほぼ無い、というか上積んだと言えるのではないでしょうか(「攻守」で考えれば特に)。

 

以前は「23年は”3-4-2-1”」と思ってましたが、思いの外「名塚式”4-1-2-3”」が強かったことと、現時点での選手編成を見るに「23年はやっぱり”4-1-2-3”」だと思えてます。

 

今日レノファは「チーム始動日」だったようで、ヌルリと名塚監督のコメントが聞こえてきましたが、「トップ6を狙える」とのことらしいです。

 

「その通りだ」と感じる素晴らしいコメントですな。

 

これでまた「J1昇格」とかヌかしたらイラっとするところではありましたが、「トップ6を狙える」は絶妙です。

 

 

22年は「選手の大量離脱」でただでさえ薄い選手層が更に薄くなったシーズン。

 

レノファ強化部の皆様におかれましては「強度の高いサッカー」を目指す名塚監督に、あともう少し選手を与えてあげてほしいところ。

 

伊東の放出、起・新保のレンタル延長には驚きました。

 

個人的にはSBにあともう一人、「”4-4-2”」のボランチの守備が出来得るIH・アンカーを担えそうな選手をもう一人欲しいな、と思ってます。

 

現状では22年に抱えてた「選手不足」を解決出来てるようには見えません。

 

夏に加える、では「名塚式”4-1-2-3”」を維持出来なかった、というのも露呈した22年だからこそ、23年開幕までにもう少し選手が欲しいところ。

 

吉報をお持ちしております。

 

 

 

 

うん。

 

これで終われるな。

 

って思ったんですけど、まだ「22年シーズンの全試合後コメント」を拾えておらなんだわ。

 

これに関しての気付きはサラッとでイキたいと思います。

 

 

 

 

名塚監督が22年シーズンに目指していたのは「J1昇格」。

 

その為のチーム作りとして↓

 

 

「やろうとしているサッカーは強度が高いサッカーで、自分たちからボールを奪いに行くサッカーです。」(第7節終了後)

 

「構えるのではないです。構えてしまったらうちのサッカーではなくなってしまうので、メンタル含めて、やらせているということをはっきりとさせる。」(第4節終了後)

 

「僕たちが2-1で勝っている状況だったのもありますが、自分たちが前に前にとボールを奪いに行く場面が多く、少しカウンターを食らってしまったり、裏のスペースを空けてしまったりするところがありました。」

「そのままボールが取れればベストですし、3点目を取れるのが僕たちとしてはベストな状況でしたので、押し出していったという状況でした。」

「次はリードしている状態から3点目、4点目を取れるようなサッカーを目指していきたいと思います。」(第4節終了後・渡部)

 

「レノファのサッカーは点を取るサッカーではありますが、結果は1-0でもレノファのサッカーだと思っています。」

「ただ、姿勢というところでは最後まで諦めない。前に矢印を向ける。そういうところがレノファのサッカーだと思っています。」(第13節終了後)

 

 

こういったことが大根本だったのかな、と。

 

 

「強度の高いサッカー」で「自分たちからボールを奪いに行く」。

リード展開でも構えるのではなく追加点を狙いに行く。

ただ、常にフルパワーで試合を行えるわけでは無いので「やらせている」というメンタルの上での守備を意識する。

「3、4点目を狙いに行くサッカー」ではあるものの根本は「矢印を前に向けてる」「諦めない姿勢」を見せることが「レノファのサッカー」だ、と。

 

 

改めて試合後のコメントを読んでると、以前私が書いた「レノファのサッカーとは何ぞや?」への答え

 

 

-攻守にアグレッシブな躍動感のあるサッカー

 

 

ってあながち間違ってなかったのかな、と感じましたよ。

 

やっぱレノファはまだ塾長の定義付けの延長線上を歩いてるんやな、って。

 

レノファの試合を見に来た人たちに「また来たい」「応援したい」と思われるサッカーをしましょうよ、を継続してJ1行きたいのかな、と。

 

 

 

 

ま、それはいいとして。

 

大根本は

 

 

「僕らが良いサッカー、わくわくするようなサッカーをすることが一番ですので」(第40節終了後)

 

 

で、その為に

 

 

「やろうとしているサッカーは強度が高いサッカーで、自分たちからボールを奪いに行くサッカーです。」

 

 

があって

 

 

「インテンシティーも高くなりますので、コンディションが悪い選手では戦えないという意味です。」(第7節終了後)

 

「トレーニンからしっかりとやっている選手を常に選んでいますので」(第8節終了後)

 

「(先発の可能性は)みんなにあります。元気な選手はテーブルに載っていますので、先発の可能性が全員にある中で、いろいろと考えてあの先発メンバーを選びました。」(第17節終了後)

 

 

という「練習でコンディションの良かった選手を起用する」選手選考・起用をしていたのかな、と。

 

 

 

 

「名塚レノファ」の大根本と采配面は見て来たので、お次、もう少し細かい部分への言及も拾ってみたいと思います。

 

とは言っても、この点に関しては第21節の岡山戦後にインタビュアーの方が聞いてくれてるんですよね↓

 

 

-チームがやろうとしているサッカーとはどういうものか?

「攻撃に関しては後ろからしっかりとボールを前に運ぶ。

そのためには幅を取り、深さを取り、相手を見ながら立ち位置をずらしていく。それでボールをゴールまで運ぶ。

そこの部分で臆することなくずらしながら、もっともっと相手を見て、味方を見た中で判断し、ポジションを取りながらボールを前に運ぶ。

そこの部分のクオリティーはもっと上げていかないといけないと思っています。ただ、はがせている部分もありますし、引っ掛かって大ピンチになっている部分はありますが、危なかったら蹴るというサッカーはしたくないですので、そこでもしっかり相手を見てはがす。

もっともっと成長させたいと思っています。守備に関しても自分たちから前向きに連動して奪いに行くというサッカーをやっています。」

 

「名塚サッカー」の全てはこれやろ、と思うわけですが、あともう少しだけ拾います。

 

 

「捏ねすぎたり、うまいことやろうとしているところがありますので、もっとシンプルにできたらと思います。」

「持ち直したところの狙いも提示もしていますので、そういったところもシンプルにやっていこうと思います。」

「ボックス内で点を取るところ、フィニッシュのところを、もっとシンプルに提示しようと思っています。」

「繊細さも大事ですが、大胆に振るところは振る。そうしないと何も起きないですので、そこの判断をもっともっとシンプルにできればと思います。」(第7節終了後)

 

「ワイドアタッカーが前を向いた瞬間に、ライン間をアーリークロスで狙うことはずっと言ってきています。それで点も取れています。」(第8節終了後)

 

 

第7節に関してはめっちゃ「シンプル」強調してるやん、っていうw

 

まぁ、正直細かい部分に関しては私プロでもないし、部外者やし、ってんで完全には理解出来んのですけど、多分「名塚サッカー」ってやっぱり「奪え、走れ、運べ、上げろ、打て」がモットーだと思うんですよ。

 

その為に人もボールも「速さ」が重要ですし、「強度」も求められる、と。

 

ほんで、以前私何試合かレノファの試合後の「選手のヒートマップ」見れるサイトでポケ~っとヒートマップ見てたんですけど、レノファのサイドの選手(WG・SB)ってめちゃくちゃ張ってるんですよね。

 

多分名塚監督の言う「幅を取り、深さを取り」の大部分を担ってるのはサイドの選手たちなのかな、と思うんですよ。

 

で、何が言いたいかって言うと、この「幅・深さを担うのがサイドの選手」っていうのが↓

 

 

「全体的に足が止まっているところが特に後半はありました。それはうちの悪い部分で、ポジションだけを取って動き出しがない。」(第11節終了後)

 

 

に繋がってたんじゃないかなぁ~、っていう。

 

 

「攻撃に関しては後ろからしっかり運ぶ」その為に「(サイドの選手が)幅・深さを取る」結果、「CB、SBにパスコースが無かったんじゃないか」って。

 

ただ、シーズン序盤の橋本や、SB起用された時の生駒、スーパー気の利く前ちゃんがSB起用された時なんかは、SBの選手が中に入っていってCBにドリブルコースを、そしてWGへのパスコースを提供出来てたりしましたし、前ちゃんに到っては3バック化までしてくれました。

 

20節の群馬戦では「左のトライアングル」が美しい変形を見せてくれまして。

 

沼田が中へ、橋本が沼田の空けた高い位置へ、渉が左CB脇へ、っていう動き。

 

ここから渉がフリーでボールを受けてエロいパスやらエロいサイドチェンジ繰り返してたんですよ。

 

 

「名塚式”4-1-2-3”にはパスコースが無い」に関しては、何故か長続きしなかったんですが、一応解決策は用意出来てはいたんですよね。

 

 

この辺に関しては

 

 

「ゲームの中でしっかりと修正できように、一人一人が状況によって考えなければいけない部分だと思います。」(第11節終了後)

 

「2トップで来ても、3枚で来てもやることはやってきていますので、選手の判断でできるようになってきていると思います。」

「そこができないことにはプレーできませんし、選手も相手を見た中でプレーを変えていく練習はしていますので、僕からはそんなには言っていません。」(第16節終了後)

 

 

とのコメント通り、名塚監督としては「答えは用意してるし、練習して来ている」だから「ピッチ上の問題はピッチ上の選手たちで解決してほしい」から、多少上手くいかなくても我慢してたのかな、と。

 

じゃあ、なんで選手たちに解決を求めてるの?って言うと↓

 

 

「もっともっと選手が判断をしないといけない。」

「言われたことをやるのではなく、サッカーは状況が常に変わる競技ですので、状況、メンタルのところでも、ゲームコントロールという部分でもまだまだで、押し込まれた時にどうやって打開するかはもっと共有しないといけない。」(第11節終了後)

 

 

この考えがあったからだと思うんですよね。

 

もう一度書きますが、この考えに対する是非はもう私には分からん。

 

業界内部のプロがこれがいいと思ったからこうなんでしょう。

 

 

 

 

ここで一旦「22年シーズンの全試合後コメント」を読んで感じたことのまとめを書いとこうと思います。

 

 

「名塚レノファ」の大根本は「良いサッカー、ワクワクするサッカーをすること」。

 

その為の手段として「強度の高いサッカー」「自分たちからボールを奪いに行くサッカー」をしますよ、と。

 

だから「練習でコンディションの良かった選手を起用しますよ」という方針。

 

「やりたいサッカー」は伝えてるし練習もしてきてるから、自分たちで都度考えて話し合って最適なやり方を導いて試合してね、っていうプラン。

 

 

なんかこんな感じだったのかな、と。

 

 

22年はこのやり方で実際かなり強かった印象でしたし、23年は22年以上に気の利く選手が多いです。

 

新加入選手たちの内の何人かは特徴分かりませんが、小林SEY!GO!に矢島、松橋、そこに関、生駒、前ちゃん、神垣、吉岡、大槻がいる、っていう。

 

名塚監督がやりたいサッカーの大枠伝えて練習させといたら、ほっときゃ上手いことやってくれる選手が22年との比較でめっちゃ多いんですよね。

 

特に矢島。

 

大宮で塾長の「ムチャ振り”4-1-2-3”」に一人だけ応えてましたからね。

 

何故かその後気が付いたらWGやらSMFやらされてましたけども。

 

22年、何故か不遇だった矢島・・・。

 

23年はレノファの中盤の軸として好き勝手にやってほしいもんです。

 

多分それが一番レノファの為になるから・・・。

 

 

 

 

ってことで今回はこの辺で終わります。

 

なんか思ったより「名塚レノファ」強かった、アクシデントにも結構いい感じで対処出来てた、「名塚式”4-1-2-3”」をシーズン通して続けられる選手層さえあれば良い感じのところ、それこそ「トップ6」狙えるんじゃないでしょうか。

 

そんなこんな調べれば調べるほどに「名塚さん、ごめんなさいでした」だったので、この思いが成仏できて良かったです。

 

まぁ、一方的な成仏なんですけどもね。

 

 

では、皆さま。

 

ここまでクソ長い文章にお突き合・・・お付き合いくださいましてありがとうございました。

 

また、いずれ。