血も涙もない不穏なタイトル申し訳なす。
以前から、具体的に言うと2020年ごろからレノファに対してずっと不思議に思ってたことがあるんですよ。
その不思議を自分の中で中々上手く言語化出来なかったんですが、最近ようやく言葉に出来始めまして。
で、ある程度まとまって来たんですが、それを記事にするか迷ってたんですよね。
ほら、私ってもうレノファ切ってるじゃないですか。
既にレノファを応援してないし、町田に鞍替えしたし、にもかかわらずブログの名前変えてないし、ってんで、現状自分自身ワケ分からんキショク悪い存在だなぁ、と思ってるんですよ。
そんな人間が果たしてこのまとまって来た考えを垂れ流していいものか、と。
こんなことに悩むってことは、私ってまだレノファに「未練」があるんでしょうね。
この「未練」の正体、未だにつかめていません。
だから、書く。
書くことで自分の考えを整理して「未練」を突き止めたい。
多分その先に「未練」の「成仏」があり、本当の意味での「レノファ切り」があるんだろう、と。
幸い前回書いた記事へのコメントで「ああ」さんから「ウンコ許可証」いただいたしw
ってなわけで、今後は「未練」の「成仏」の為に記事を書いていきます。
自己分析の為の記事、と言っても差し支えない動機で書いていきますので、今後は今まで以上に「おっさんの野グソ」感強めでお送りします。
いよいよ私の態度に愛想が尽きた方は本日この場で「グッバイ、またどこかで」になると思いますが、おっさんの野グソを面白がれる奇特な方はもう少々お突き・・・お付き合いのほどよろしくプリーズ。
さて、ここから今回の本題に入ります。
第6節、レノファはhomeで藤枝MYFCと対戦し 0-3 で敗れたじゃないですか。
その試合後ゴール裏席からレノファサポによるブーイングが起きた、と。
Twitterや掲示板を覗いて見るにブーイングの理由は「闘ってなかった」かららしい。
前回の記事で私はこのブーイングの動機を「期待感の無さ」によるものと推測しました。
「闘ってなかった」なんてそんなもん少なくとも20年には何度も見せられた光景で、その時と今とでピッチ上で起きてる現象は何ら変わってないのに今はブーイングが起きる。(しかもシーズン始まって間もない6節後に)
当時と今とでじゃあ何が変わったか?と言うと「環境(状況)」でしょ、と。
内容も結果も最悪なのに何も変わらない、っていう地獄の虚無サッカーをやっても許されてたのは「クローズなレノファ」だったジャンボ体制下の話。
しかし今は「オープンなレノファ」に変わった小山・渡部体制。
「オープンなレノファ」は「レノファ会議」に代表されるようにファン・サポーターがレノファに対して「意思表明」がしやすいです。
レノファは「クローズからオープンへ」変わったことによって「クラブ」「ファン・サポーター」が変わってきました(そのように見受けられる)。
その「変わっていくファン・サポーター」が「変わらない現場」へ「現状だとトップ6の世界を見られない(その期待感が無い)」という動機でブーイングをしたのでは?
と、まぁ、ざっくりこんな感じの内容の記事でした。
第6節後に起きた「早すぎるブーイング」に小山さんの蒔いた変革の種の芽吹きを感じ、個人的に非常にポジティブに受け止めてますよ、ってまとめてたと思います。
で、前回は「闘ってなかった」をやや掘り下げたんですが、今回は掘り下げずにそのままの意味で受け止めて感想を書きます。
この「闘ってなかった」って、レノファにとって結構根深い問題だと思ってまして。
個人的な印象で言うと、レノファは2019年の後期から、渡邉監督体制下を除いた現在に至るまで、ずっと「闘ってなかった」状態が続いてる、と見てます。
レノファの2019年は「”4-1-2-3”発”3-4-2-1”経由”4-2-3-1”(”4-2-1-3”)着」だったシーズンです。
「”3-4-2-1”経由」までは闘っていた印象でしたが、ここから「”4-2-3-1”(”4-2-1-3”)」に変えたところから現在まで(もう一度書きますが、渡邉監督体制下を除く、です)レノファは「闘ってなかった」状態じゃね?っていう。
レノファが抱えてる根本的な問題って↓
-「闘う」ベクトルが「相手」ではなく「自分達」に向いてる点
だと思ってます。
なので、先ほどからしきりに「闘ってなかった」と書いてましたが、正確に書くとレノファは闘ってはいたんですよ。
闘ってはいたけど、そのベクトルが「相手」ではなく「自分達」に向いてたよね?っていう。
前回の記事でも触れましたが、今年のレノファの目標は「トップ6」ですが、ニュアンスとしては「レノファのサッカーの成就のその先にトップ6がある」です。
極端に言えば、「トップ6」はおまけです。
「レノファのサッカー」という「理想」が叶えばおのずと「トップ6」が見えてきますよね、って考え方。
「トップ6入りから逆算した戦略・戦術とその運用」のようなリアリストな戦い方ではなく夢追い人、求道者のような戦い方を選んでます。
だから「やりたい(理想)」の優先順位が高く「出来る(現実)」が疎かになってる。
-「やりたい(理想)」が叶えば順位(結果)もついてくるだろう
この戦い方、キツイです。
「レノファのサッカー」という「やりたい(理想)」が先行している以上、試合においてまず闘うのが「自分達」になります。
「レノファのサッカー」ってのは言ってしまえば「型」です。
プロサッカーは日舞や弓道と違い、「相手」があるスポーツ。(あ、弓道も「相手」があるっちゃーあるか)
その「相手」よりも
-「型」通り出来ているか?
と「自分達」にベクトル(意識)が向くので勝負の土俵にまずもって立てていない。
レノファはずっと「相手」との勝負の土俵に立たず「レノファのサッカーが出来るか?(型通り動けるか?)」という「自分達との闘い(夢追い人、求道者)」をしてますよね?っていう。
普通プロ同士が「勝負」すれば「駆け引き」なんてモノが生まれるんですが、レノファの場合ですと上記の理由でそんなモノは生まれないし期待出来ない。
だから苦しいんですよ。
「共喋」においての渡部社長の言葉を借りるなら、レノファは勝負の土俵に立たない以上、試合の内容・結果全てを「自責」にしなきゃならなくなる。
「勝負」すりゃ当然「駆け引き」が生まれて、内容・結果を「他責」に出来る時もあるじゃないですか。
-「相手」が凄かった
-「相手」が見事(アッパレ)だった
「自分達」は精一杯闘ったけど「相手」がそれ以上に上手く闘った。
悔しさは残るかもですが、「他責」なら納得しやすいし切り替えも容易じゃないですか。
-「自分たちが崩されたというよりも、簡単にミスをしてしまって、簡単に相手に流れを持っていかれているのが全てだと思います。」
-「そういうミスを減らさない限りは、防げない失点が多くなりますし、しっかり向き合って1週間、準備したいと思います。」
(第6節後・佐藤謙介)
-「一つ一つのプレーでミスが多く、レノファらしいサッカーができなかったこと。」
(第6節後・前貴之)
現状、敗戦を「やりたい(理想)」が「(自分たちの)ミス」により出来なかったことによる「自責」として受け止めてるところに、数年来続くしょうもなさを感じてます。
先日行われた第7節、away秋田戦にレノファは 1-0 で勝利しましたが、私の見間違えでなければインタビュー時、名塚監督は泣き、ヒロインの生駒は泣き・・・。
-このチーム、ホントよく「泣き」ます
遡れば去年のヒロインで橋本が泣き、もっと遡れば昇格も降格も決まった試合でもない、何でもない試合で(連敗明け、だったかな?)勝って池上が泣き。
-ねぇ?苦しいんでしょ?
って。
敗戦の責を「自責」にし続けるのって、苦しいんでしょ?
-じゃあ、もう「勝負」しなよ?
と。
負けてそれを「自責」にして苦しいなら、負けて「相手がヤバかった」って「他責」に出来る土俵に立ちなよ?って。
「相手」と「勝負」せずに「自分達」と闘うから敗戦の責を「自責」にせざるを得ず、苦しい。
その苦しさから流れる涙は見てる者の胸は打ちませんのよ。
-しなくていい努力
-積まなくていい苦行
あなた方が一生懸命実現しようとしてる珠玉の「レノファのサッカー」なんて、所詮こんなもんよ。
私は夢を実現しようとひたすらに努力を続ける者を嗤う感性は持ち合わせておりませんが、「世界一のホームランバッターになりたい!」って言ってバスケやってるような「ナニヤッテンダ?」感あふれる者に対しては力一杯バカにします。
動機を探りたい、と思えば別ですが。
レノファの場合ですと、何年も結果が出てないのにアプローチを変えようともせず、同じ苦行を積み続けてやっぱり結果出ず、果ては苦しさから泣き始めるから心底呆れますしバカじゃなかろうか、と。
普通、今の時代がどうなってるか知らんけども、男子が人前で泣く、ってのは余程の事情があるもんですし、その涙には胸を打つモノがあると思うんですよ。
が、レノファの関係者の場合ですと「え?大丈夫?」ってドン引き寄りの心配、っていう感情が先行するんですよね。
-苦しいなら他所へ行って幸せにおなりなさい♡
って冷めた目で見ちゃう。
現場のトップが苦しくて泣いちゃうような組織に来ちゃダメよ。そりゃ。
そんな組織をキャリアの中に選ぶのは・・・ねぇ?
この「試合においてレノファって闘うベクトルが”相手”に向かずに”自分達”に向いてるよなぁ」っていう問題に対して、個人的に第7節秋田戦は「おっ?」って感じたんですよね。
この試合、闘うベクトルが「相手」に向かってました。
名塚体制でことごとく上手くいかない「ビルドアップ」を放棄した結果、「レノファのサッカー」における「ボールを保有してぇから後ろで繋ぎてぇ」が無くなり、「相手」がハッキリ認知出来たのがその要因だと見てます。
今年のレノファって、「ブロック」が異常に硬いんですよね。
後出し、カッコ悪い、って話ですが、個人的に「名塚式ブロック」の硬さって尋常じゃねぇ、と感じてまして。
特に今年はそれに拍車がかかってます。
開幕から3節まで、レノファは「”4-1-4-1”ブロック」を組んでましたが、この時の失点はジュビロ戦での1失点だけ、それもセットプレーからで、流れの中では喰らってません。
4節から6節に、これまでの「”4-1-4-1”ブロック」を止め「ボールを奪いイク」号令の下、剥がされまくって失点したり、出来もしねぇ「ビルドアップ」で自滅してカウンター喰らって(謙介やMDが糾弾されてた理由)炎上。
とはいえ、そんな3試合11失点で大炎上した第4から6節であっても、「ブロック」時には失点してなかったんですよね、レノファ。
ちゃんと計測してないんで断言は出来ませんが、あの大炎上の期間中であっても、構えさえすればしっかり硬かったという印象を持ってました。
なので、ホント、後出し、カッコ悪い、なんですが、第6節までで今シーズンレノファが得られていた収穫としては「ブロックが硬てぇ」だったと感じてまして、「本気でトップ6を目指す」なら、ここを起点にチーム作りを見直すべきだと思ってたんですよ。
そんなこんな思ってたら第7節で「ビルドアップ放棄(「自責」の要因カット)」「トップの2枚(皆川・河野)をブロックに組み込むことを持さない”4-4-2”(”4-5-1” ”4-6”)ブロック」を披露して来たもんで驚いたんですよねぇ。
しかも「ボールを持たない戦い方」を軸にしてる秋田相手に「即席のボールを持たない戦い方」で勝つんですから凄ぇな、と。
やっぱ今年のレノファのメンツは「過去最強(最高)」なんだなぁ~、って(秋田のセットプレー封殺したしね)。
ただ、だからこそそんな「過去最強(最高)」のメンツを擁してやるサッカーがこんなんでいいのか?って疑問が頭をよぎりますがね。
このメンツを闘わせるのに「ビルドアップの放棄」が起爆剤になるのが見てて辛い。
レノファ史上「過去最強(最高)」のメンツが「自責」で苦しむ「レノファのサッカー」ってどう考えてもやべぇでしょ。
「名塚式ブロックは硬い」と書きましたが、逆に言うと「名塚監督は”ブロック”しか仕込めない」ってことなんですよね。
それも、非常に「感情的なブロック」。
「理屈」なんて特に無いんですよ。
枚数の確保と「球際」「競り合い」が合言葉の「ブロック」ですから。
「”4-1-4-1”ブロック」のころからアンカーの謙介は目の前を通り過ぎてく相手選手をスルーする「ヘニキ守備」をやってごく普通にその選手だったりにシュートを打たれるわけですが、生駒・ヘナン(MD)・関が止めてくれてるだけ、だったんですよね。
塾長時代を想えばそれだけでも大した進歩だとは思いますが、なんだかな~、って感じです。
秋田戦でもリード展開の最終盤に「”5-4”ブロック」を敷きましたが、その際に投入された選手は神垣と池上。
この二人はダブルボランチの矢島と山瀬に代わって投入されたわけですが、意図が分かりません。
プロの目から見たら違うんでしょうが、神垣も池上も「ブロック」の局面を得意にしてる選手じゃ無いと思うんですよ。
神垣は「ビルドアップ」と「プレス」。
池上は「フィニッシュ」と「プレス」。
両選手「ブロック」に強みは無いと見てまして、投入の意図が矢島と山瀬が「疲れてるから」にしか見えない。
そも、秋田相手に「ビルドアップ放棄」「ブロックの容認(ボールを奪いに行く「プレス」の放棄)」という戦い方を選んでおいて、この試合のベンチメンバーのチョイスは本当に正しかったんでしょうか?
ま、この辺は内部の事情を知らんから何とも言えんけど、少なくとも秋田相手に最終盤「”5-4”ブロック」で守り切る戦い方をチョイスをして出てくる選手が神垣・池上の時点で盤石とは程遠いし、その盤石を築けるチームでは無いんだろうなぁ、って。
実際神垣・池上はバイタルから消えてましたし、ところどころ「”9-1”ブロック」みたいになってましたし。
ホント、「理屈」じゃなく「感情」なんだな、と。
この「感情」を見て「また見たい」「また応援したい」となるか?っていうと非常に微妙。
ファン・サポーターの方々がどう感じるかは分かりませんが、レノファに愛想が尽きて町田を知ってしまった今の私には刺さらんな、と。
レノファの次の相手は栃木ですか。
どうなるでしょうね。
名塚監督が秋田戦で「ビルドアップ放棄」を選んだ動機って「away」「芝長いから」くらいなもんだと見てるんで、この戦い方、継続しないんじゃないでしょうか。
また「ビルドアップ」に固執して「自責」に苦しんで泣く、なんてことにならないといいですね。
ってか、根本的な疑問ではあるんですけど、なんでレノファって「ボールを保持したい」なんて思うんでしょうか?
レノファ史上最高の成績を収めた2018年の「レノファのサッカー」って「圧倒的ボール奪取から繰り出されるショートカウンター ~無限クロス地獄~」が本質で、別に「ビルドアップ」なんてどうでもよかったはずなんですがね。
2019年後期から2020年にかけて「ビルドアップ」の魅力に取り憑かれて本質から遠のいてる気がしますが、何があったんでしょうか。
「霜田ファミリー」が仕込む「ビルドアップ」なんて「自責」で苦しむだけなんですからこんなもん捨てて「プレス」に勤しむべきでは?なんて思います。
と、考えた時に、実に良い人材が野に放たれたじゃないですか。
-ゼ・リカルドのブラジル帰還を阻止せよ!
私はこう言いたい。
去年「なんで成岡は清水でスタメン取れんのや?」が気になって清水の試合、1試合だけですが見たんですよ。
シーズン終盤の、第何節かは忘れましたが、川崎との試合でした。
この試合を見て私が感じたのは「なんで清水は降格圏争い演じてんねん?」です。
とにかく清水の「プレス」が美しかった。
成岡のことそっちのけで見惚れたよ。
川崎の「”3+1”」の「ビルドアップ」に対して序盤はやられてたんですけど、前半の中盤頃くらいからこの「”3”」に対して清水のサイドハーフの選手を「プレス」に加え始めて「”4-3-3”(”4-2-1-3”)」みたいな格好になったんですよね。
ほんで、ボランチの選手たちも前線の「プレス」に合わせて前に出てくるし、ほぼ完璧と言える「プレス」を披露してくれたんですよ。
その後この形で一時逆転にまで持ち込むものの、川崎がそこから「”3+2”」に「ビルドアップ」を変えて剥がし始める、でも前線の選手が減るので中々「フィニッシュ」にまでいけない、清水の選手たちはやけに頑張る(途中川崎の「”3+2”」に対してさらにボランチを前に出して「”4-1-2-3”」気味で「プレス」し始めてた)、っていう非常に面白い「駆け引き」が見れたんですよねぇ。
-「プレス」を思い出してぇレノファにとってこれ以上の人材居なくなぁい?
って。
-清水が呼ぶほどの監督なんだからお高いんでしょ?!
とか知らんわ!
愛しの晋くんが山形の監督になっちゃった以上、「ひょっとして渡邉」っていうオカズでシコれなくなったんだから、今後は「ひょっとしてリカルド」をオカズにシコるしかないじゃん。
ロドリゲス”じゃない方”の、”ゼの方”のリカルド、レノファの監督に就任せんかな。
就任祝いにバレインから岸田、山雅から小松でも強奪出来たら最高なんだけども。
石原GMに黙ってコソ~っと会長と社長が色々根回ししたら組織がぶっ壊れるかなw
ま、諸々込みで見守りたいですね。
今回の記事投稿でまたしばらく姿を消します。
不快に感じる表現今回は特に多かったと思います。
ごめんなソーリー。
冒頭で述べた私が感じているレノファへの不思議。
これほど(泣くほど)「自責」に苦しむ「レノファのサッカー」に何故これほど固執するのか?
この探求自体はまだ続けたいところですが(モチベは低い)、答えは出ずとも不思議自体の言語化は自分なりに出来ました。
また何かに気付いたり発見があったりしたら復活したいと考えてます。
一応、霜田塾門下生として塾長が率いる山雅の試合は見届けていますので、取り敢えず一段落したら優先して霜田山雅の感想でも書きたいなぁ~、なんて思ってたりします。
なんか、まぁ、そんな感じで!
さいなら~。