久々にでけぇ声出たわ。
名塚善寛監督および石原正康GM退任のお知らせ | レノファ山口FC (renofa.com)
-名塚はんと石原GM、辞めるってよ・・・
一昨日「矢島ワンダーランド」についての感想記事投稿した後、Twitterボケ~っと眺めてたらこのリリースを目にしましてね。
-ウホッwwwwww
って。 出たわ。 声が。
あ、草生やすとバカにしてるニュアンスになっちゃうんですけども、そんなつもりはありません。
そんなつもりはありませんが、私はこのリリースを見て、確かに「笑い」ました。
以前から常々「現場陣の一掃」を主張していた私ですから、私のブログを読んだことのある方にとってはやはりバカにしたニュアンスの「笑い」と受け取られるかもしれません。
-私の「笑い」は「嬉し笑い」です
何が嬉しかったか?
-「変わろうとしたこと」です
手を変え品を変え、言葉を変え、果ては石もウンコも投げ、新体制発表会でのクソっぷりに爆発し、町田に寝返るまでして、そこまでしても未だにちょくちょく批判してる「レノファのサッカー」。
-地獄の虚無に終止符が打たれようとしてる
長った・・・です・・・。
そりゃ、嬉しくて「笑い」ますよ。
嬉しいという感情と共にホッとしてます。
「レノファ山口FC」は「レノファのサッカー」に縛られて沈没していくもんだと思い、勝手に絶望してやるせなさを感じていたんですが、暗い洞窟の中でようやく見えた一筋の光。
-助かった・・・大丈夫だ・・・
にも似たホッと感。
30近くからやけに涙腺がガバガバになってきたもんで堪えるのが大変だったんですが、ホント、今も書いてて泣きそうになってるんですよ。
まだ、です。
まだ「嬉し笑い」からの「嬉し泣き」っていう歓喜の汁をドピュる時ではありません。
最高最強の絶頂に向けてまだ股間に右手を添えたばかり。
甘美なる発射に向けて、その過程を慈しみつつシコってイキたい。
今は、そんな慈愛に満ちた気持ちです。
ん~、ごめん。
一昨日からビッグニュースのせいで脳汁ドバって最高にハイでして。
頭パッパラパ~なまま書き始めちゃった。
最悪な導入、すんまへん。
こっから本題挿ってイキます。
今回は「監督とGMの退任」というリリースが、私にとってどれだけ大きなことだったのかをダベらせてもらおうかな、と。
で、最後に雑談でもして終わりましょう。
ヒマな人~~~突き合って~~~♡♡♡
じゃ、イクイク~~~♡♡♡
-「レノファ山口FC」には「武器」が無い
これが、数年レノファの試合を見ていて私が常々感じていることです。
「レノファ山口FC」という「チーム」(「クラブ」ではありません)には、「これがあるから俺たちは闘える」と言えるような、プレーしてる側も見ている側も、心の頼りに出来るような、すがれる様な「武器」が無い。見受けられない。
攻撃における「フィニッシュ」「ビルドアップ」の局面。
守備における「ブロック」「プレス」の局面。
この4局面の内、どの局面においても「レノファ山口FC」には相手に脅威を与えられる強み、「武器」と断言出来る局面が無いのです。
私は2019年からレノファの試合を全試合見始めたので、これまで「霜田レノファ」「渡邉レノファ」「名塚レノファ」を見て来ました。
この3人の監督、いずれも「レノファ山口FCの武器」を作り上げることが出来なかった、と個人的には思ってます。
霜田、渡邉、名塚監督に共通するチーム作りの問題点、それは↓
-なんか全部やろうとする
ことにあったかな、と。
「フィニッシュ、ビルドアップ、ブロック、プレス」の4局面の内、特に「ビルドアップとプレス」がそうでしたが、なんか全局面に強みを持たせようとして逆に尖れない、どの局面においても実に中途半端なチームだった印象です。
ムリよ、ムリムリ、リームー。
近年やや落ち着き始めた印象はありますが、レノファはまだまだまだまだ「(選手を)獲られる側」ですやんか。
「チーム練度」とか言う甘美なるワードからは程遠い立ち位置のレノファが、4局面の内の全部に手を出したらそりゃチームの出力上がっていきませんがな。
-レノファみてぇなチームがすべきは「分散」じゃねぇ!「集中」じゃ!
限られたプロ同士の練習時間、アレもコレもに使って良い段階のチームじゃねぇっしょ、レノファは。
自分たちの置かれてる立ち位置を見誤ってちゃダメなんスよ。
4局面全てを「武器」にしてたチームって、おめぇ、そりゃ「CL制覇時のレアル・マドリード」やんけ。
世界に数多あるプロサッカークラブの頂点を極めたチームがようやく到達し得る天上界やぞ。
なんでレノファがそんなとこ目指すねん。
-鼻の穴見えるほど上見上げんな、下見ろ、地面見ろ
です。
天上界、はひょっとしたら言い過ぎかもしれませんが、それでも自分たちの立ち位置からすれば遥か遥か高みを「成長」で目指し、その過程の為なら勝ち点を犠牲にしても構わんという姿勢。
そのストーリーを「また見たい」「また応援したい」となるか?それは胸を打つか?感動するか?って聞かれたら
-なるわけねぇだろ!バカじゃねぇのか?!
って、私は答えます。私は、ですよ。
だから
-(レノファは)慌てんな!焦んな!血迷うな!
と思ってました。
霜田監督は「プレス」に強みがあったのに「ビルドアップ」に手を出し始めてレノファを焼野原にしちゃいましたし、名塚監督は2018年の「プレスに強みがあった霜田サッカー」から始めりゃ良かったのに「ビルドアップに手を出し始めたころの霜田サッカー」からスタートしちゃったし。
-欲張んな
と。
霜田ファミリーに渡邉監督のような引き出しや、一つ一つの局面の精度を上げられる手段を持ってるならまだしも、なんですが、無いじゃん?
「やりたい(理想)」起点の「コンセプト」は掲げられるけど細部を詰めれない。
だから「雰囲気が良い」らしいから「元気よく足踏みしてる」と私は評しました。
渡邉監督は「プレス、ビルドアップ、ブロック、変態分析力」に強みがあったと私はみてますが、この人の場合は「2年でJ1」があまりにも邪魔過ぎた。結果論ですが。
レノファはこの人を山口県に監禁して何年掛かろうとも1年1年1局面ずつ鍛え上げてもらうべきでした。(監禁したらaway遠征行かれへんやん)
「2年でJ1」のせいでレノファは駆け足で渡邉監督の「プレス、ビルドアップ、ブロック、変態分析力」を取り込まなくてならなくなった。
1年かけて1局面を「武器」に出来れば充分(てか、出来たら凄いレベル)なのに3局面+「相手に合わせた(弱点を突く)サッカー」なんて・・・出来まへんよ。
そんなこんなで、私が見て来た3人の監督全員が、原因が各々違いますが(霜田、名塚監督は似てますが)「レノファFCの武器」を作り上げられなかった。
そんな結果を出せなかった(「武器作り」の失敗続き)現場が、ついに変わります。
-「レノファ山口FC」が「(数年)結果を出せなかった現場」を「変えた」。
まだ新体制が発表されてないので正確には「変えようとしてる」ですかね。
いずれにしろ、大歓喜、です。
「霜田ファミリー」っていう理想主義者たちがやってた「君ら、一体誰と?ナニと?闘ってるの?」に一応の終止符が打たれましたからね。
細部を詰められもしないのに4局面全てに強みを持とうとして、その無謀な取り組みを「成長」っていう、なんか良い感じの言葉の覆って勝ち点を犠牲にして。
「成長するために試合してますんで」とか「良い試合をするためにやってますんで」とか、クソふざけた、勝負の土俵に上がることから逃げ、「相手」を見ず「自分たち」との「闘い」に明け暮れて、敗戦の責を「他責」に出来ず「自責」として受け止めてその苦しさから「泣き」始めるような体制が終わる。
-プロサッカー観戦の醍醐味、「勝ち負け」の価値を堕とした体制が、終わる
と、まぁ、ここまで近年の石原GMが作り上げた「現場」をボコスコのクソミソにブッ叩きましたが、レノファの現場がこうなって行ったのも、ホント、今となっては、なんですが、分かる気もするんですよね。
普通に考えれば、レノファみたいな規模のクラブってやっぱ「1局面特化」のチームにしていくしかないと思うんですよ。
秋田とかいわき、みたいな。
少なくともまずはそこから、みたいな。
じゃあ、なんでレノファは「1局面特化」のチームにしなかったんだろう?と。
-ワクワクするじゃん?「4局面特化」チームになったら・・・
って想うと。
レノファみたいな規模の小さいクラブのチームが「4局面特化」とまでは言わずとも「攻守に攻撃的なチーム」になったら・・・やっぱワクワクするし楽しそう。
レノファは秋田やいわきのようなチーム作りをする方が一般的には「正しい」んだと思うんです。
が、石原GMはその一般的な「正しい」をチョイスしなかった。
無謀、としか言えない道を選んだ。
一般とは違う、茨の道を選んで、「3点取られたら4点返す」が代名詞の「上野レノファ」という「レノファバブル」をレノファにもたらしたりもされた。
そこから霜田監督を呼んで「”また見たい””また応援したい”と思われるチーム作り」を起点に運営された。
石原GMのレノファでの取り組みには「”こうだった”から”こうした”」の前に「観に来てくれた人たちを楽しませたい」という信念が見えていました。
一つ一つにその時その時で最善を尽くされて来られたと思います。
が、残念ながら近年は行き過ぎた「攻守に攻撃的信仰」の結果、「勝ち負け」の価値が落ちてしまったように見受けられます。
「観に来てくれた人たちを楽しませたい」が歪んでしまったのかな、と勝手に推測してます。
「結果(勝敗)」そっちのけで「内容(楽しませたい)」に傾いてしまった、と。
だからこその「トップ6を本気で目指す」(「結果」に拘る)だったかと今にして思うのですが、一度傾いた船って、なかなか元に戻せんですね・・・。
ここまでめちゃくちゃ偉そうに書いちゃいましたが、石原GMにしても、もう止まれなかったのかな、って。
傾きを戻せなくなっちゃってたのかな、って。
だからこそ、「現場」に「フロント」がどんな形でかは分かりませんが「ストップ」をかけたんじゃなかろうか、と。(石原GMも傾いた船が沈没しちゃうなら一緒に、みたいなニュアンスのコメント出してましたし)
一応リリースとしては退任に関して「本人の申し出」とありますが「第○○節までに勝ち点(あるいは得点)○○がデッドライン」みたいな通達は・・・あったんじゃないかなぁ~。
この辺は分かりませんし憶測でモノを書きたいことでもないのでもう書きませんが。
私は近年の石原GMが作り上げた現場に不快感しか無く、「一掃しなかったら降格」とまで書いて石を投げちゃってました。
が、これまでの石原GMの信念から来る取り組みによって、レノファは(というか私も)実に多くの学び、たくさんの収穫を得られました。
-「”上野レノファ”による”レノファバブル”と”その後”」
この流れはどうか「レノファ山口FC」も「ファン・サポーター」の方々も大事にしていって欲しいな、と。
お時間ありましたらぜひ一度考えてみていただきたい流れなんですよ。
ごめん、どこ目線だよ!って書き方して。
でもちょっとだけ私の考えを聞いていただきたい。
-「上野レノファ」最高だったよね?
おそらくレノファを知る古参の方ほど「上野レノファ」の魅力をご存じかと思います。
圧倒的得点力を誇り、かつトントン拍子でJ2まで駆け上がった。
Jリーグに所属するパイセンクラブをその圧倒的な攻撃力でボコボコにする姿にココロオドル経験をさせてもらいました。
-まさに「レノファバブル」
実際私はこの時のレノファを知りファンになりました。
今思い返してみても脳汁がドバってアヘります。
「3点取られたら4点返す」が代名詞の最高で最強のドラッグだった「上野レノファ」による「レノファバブル」ですが、同時にレノファは「レノファと言えば攻撃的」という「呪縛」に掛けられてしまった。
他チームとの比較で「得点」に優れているわけでもない今でさえ、対戦相手の監督も、実況・解説も、よく「レノファは攻撃的なチーム」と評しますし、レノファのファン・サポーターの方々も「レノファは攻撃的なチーム」と思ってらっしゃるでしょう。
マジョールは知りませんが、上野監督以降、霜田、渡邉、名塚監督も監督就任に当たってレノファを「レノファは攻撃的なチーム」と認識されて(評して)いました。
-内も外も、レノファは「攻撃的なチーム」認識なんですよね
これこそが、個人的に「レノファ山口FC」が抱えてしまった「呪縛」だと思ってます。
内からも外からも「レノファは攻撃的なチーム」と認識されるのは「ブランディング」の観点で言えば大成功だとは思います。
かつて霜田監督もこういった「ブランディング」を意識することで「レノファを行きたい、レノファに行けば成長出来る」と感じてくれる選手を増やそうとしてました。
-が、これ、悪く受け取ると「レッテル張り」なんですよねぇ
「レノファ山口FC」を取り巻く環境は、特に内側の人(「フロント」「ファン・サポーター」)に多くいらっしゃる印象ですが「レノファは攻撃的なチーム」
-”でなければならない”
に変形しちゃってる。
本来、Jリーグにあって「レノファ山口FC」がどんなチームであろうと自由なはずなのに、実に窮屈な考え方に昇華させてしまった、と感じてます。
-これこそが「上野レノファ」の「功罪」
観る者を魅了する最高で最強な強烈なドラッグであり、J2まで一気に駆け上がった圧倒的「功」。
が、一度味わってしまったら止められない止まらない「罪」。
-リメンバー「上野レノファ」の「レノファバブル」
「レノファは攻撃的なチーム”でなければならない”」という(内外の「レッテル張り」による)「呪縛」で「上野レノファ」は「レノファ山口FC」を縛ってしまった。
石原GMの「観に来てくれた人たちを楽しませたい」から「攻守に攻撃的」のために「上野レノファ」が生まれ「レノファバブル」が発生した。
そのバブルは「3点取られたら4点返す」が代名詞の激烈にブッ飛べる強烈なドラッグでありインパクトが大きすぎた。
あまりのインパクトで「レノファ山口FC」はその後「レノファは攻撃的チーム」の「呪縛」を抱えることになってしまう。
「上野レノファ」のピークを仮に16年だとすると7年もの間、レノファは攻撃なチームであろうとしました。
17年のシーズン途中以降、上野監督は指揮を執っていないのに、です。
結果、18年に霜田監督が再定義こそしましたが、レノファは攻撃なチームであろうとし続け、いつしかレノファの優先順位は「勝敗(勝ち点)」が最上位に来ず、「攻撃的でなければならない」(「やりたい」「理想」)の方が上に来てしまうようになった。
ここまでが私が思う「”上野レノファ”による”レノファバブル”と”その後”」です。
人によってこの一連の流れの受け止め方って絶対違うと思うので、もし当時と今を知る方で私の見解に違和感を感じる方いらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたいです。
とはいっても、これ、ブログ。
現在進行形で意見交換出来ませんので、今の私の見解を前提にもう少しお話しさせてください。
-「上野レノファ」の「レノファバブル」もう一度味わいたいですか?
っていう。
私はね。
-もう無理だ
と、思ってるんですよ。
「上野レノファ」を作り「レノファバブル」を発生させ、「攻守に攻撃的」であり続けようとした石原GMにもう一度作ることが出来なかった、って時点で、諦めるべきなんじゃなかな、って。
レノファにおける「攻守に攻撃的」で「”また見たい””また応援したい”と思われるチーム作り」の果ては「勝敗の価値の失墜(下落)」だった。
「また見たい」「また応援したい」と思ってもらえるチームを作っていたはずなのに、「なんか見ててワクワクしねぇな」と思われるチームになっちゃった。
「攻守に攻撃的」であろうという「型」に自らハマっちゃって、「相手」ではなく「自分たち」(”こうあろう”としてしまう)と「闘って」しまったからだ、と私はみてます。
こうなっていってしまった(見ててワクワクしない)元を辿って行けば、「レノファは攻撃的”でなければならない”」という窮屈さ、縛りプレイのようなモノから来てるんじゃなかろうか、と。
レノファを応援される皆さんは、レノファのどんな姿を見たら「また見たい」「また応援したい」と思いますか?
あるいは、レノファが試合でどんなことをしてくれたら(約束してくれたら)知り合いをスタジアムに呼びやすいですか?
-それは「3点取られたら4点返すサッカー」ですか?
その「やりたい(理想)」の果ては「見ててワクワクしない」でしたよ。
もう「攻撃的”でなければならない”」という「呪縛」から解放してあげてもいいんじゃないでしょうか?「レノファ山口FC」を。
レノファの「フロント」は「変わりました」。
そしてその「フロント」が「現場」を「変えた(変えようとしてる)」。
次は?
「ファン・サポーター」の番では?と。
外からの「レッテル張り」からは逃れられません。
だから、せめて内側、「ファン・サポーター」という「レノファ山口FC」にとっての一番の味方は「呪縛」からの解放を受け入れて、そのお手伝いをしてもいいんじゃないでしょうか。
「攻撃的”でなければならない”」で「型」にハマってしまって「見ててワクワクしない」に陥った「レノファ山口FC」を、「共喋」によると、小山会長は「勝つことで面白いと思ってもらえる、プロサッカークラブの原点に立ち返りたい(取り戻したい?でしたっけ?)」と、「勝利」にフォーカスすることで変えたいようですよ。
「攻撃的”でなければならない”」窮屈だった「レノファのサッカー」。
それが「勝利を追求する」ことが「レノファのサッカー」に変わったら、これほど嬉しいことはありません。
レノファが「勝利を追求」することで「3点取られたら4点返すサッカー」とは完全に決別することになるかもしれません。
しかしながら、サッカーは「相手」があるスポーツであり、勝ち点を奪い合う競技であるからして、やはりプロサッカー観戦の本質(醍醐味)は「勝つか負けるか」であると私は思います。
「どのようにして勝つか」というような「型」に拘る考えはもう要りません。
-勝て、勝て、勝て
「どのように勝つか」ではなく「何としてでも勝つ」というガムシャラさで見てる人たちの心を打ってほしい。感動させてほしい。
そのガムシャラさこそが「”また見たい””また応援したい”と思われる”レノファのサッカー”」になっていくのではないでしょうか。
私は小山会長の
-チームは新たな体制を構築し、少しでも多くの勝利、1つでも上の順位を目指して戦ってまいります。
というコメントに打ち震えてます。
「レノファ山口FC」が「攻撃的”でなければならない”」という、いわゆる「レノファらしさ」でもある「呪縛」から解放され、「勝利を追求する」飛翔を、そしてそれを「ファン・サポーター」の方々が後押しをしたら・・・もう無理・・・絶対泣く。
そんなん見たら泣くって・・・。
幸い、って言って良いのか分からんのですけど、レノファのファン・サポーターの方々の中に「3点取られたら4点返すサッカー」の復活を絶対視してる人、見受けられないんですよね。
「勝ってほしい」と願う方の方が多い印象でして。
だからこそ「レノファ山口FC」を取り巻く「フロント」「現場」「ファン・サポーター」という関係性が「勝利を追求する」で同じ方向を見据えそうで、その爆発力に未だかつて味わったことの無い期待感を感じてるんですよね。
ここまでキレイに足並みが揃いそう感、体験したこと無いです。
この期待感、「どうなっちゃうんだろう」というワクワク感は私の中で「渡邉監督就任のお知らせ」を上回ってます。
もちろん、この決断がどう転んでいくかは誰にも分かりません。
が、「放っておいたら降格」という絶望的な状況から現在はこの期待感、ワクワク感を抱かせてくれるまでに持ち直してくれたわけで、当然、私はこの決断を全面的に支持します。
「(現場の)新体制」どうなるでしょうねぇ?
不安よりも期待の眼差しで見守りたいです。
長くなってきたので今回はここで終わります。
「こうなってほしいなぁ~」ってのがありますんで、次回はそれを書きたいな、と思ってます。
私がそんなことを書いて垂れ流したところで何の意味も無いんですが、こういうのをダベるのって楽しいんですよね。
-楽しいから、書く!
久々の感情です。
いや、しかし、今回の記事はいつにも増して「お前が言うな!」な内容になってしまいました。
町田に寝返った私が書いて良い文面ではない箇所多いと思います。
申し訳ありません。
どうか、どうか、広い心でお許しいただけたら、です。
では、またいずれ。