連載予定のテーマです。
以前↓
こういった記事を書きました。
レノファにおいて、監督就任初年度に過去最高順位である8位を記録し、その後年々右肩下がりに成績を落とし、最終年である監督3年目、2020年にはJ2最下位を記録。
-「霜田正浩」という監督は、あらゆる意味で、強烈だった。
良くも悪くも印象に残る監督です。
この「良くも」はレノファの場合、2018年のJ2・8位に当たる部分になると思いますが、私はその年の「霜田サッカー」はほぼ見ていない。
私がレノファの試合を全試合見始めたのは2019年から。
つまり、私は「霜田正浩監督」の良くも悪くもの内、「悪くも」の部分しか甘受できていないのです。
-レノファにおける「霜田の3年」の内の「負の2年」しか、私は知らん
そういうことです。
私は「霜田正浩監督」は「レノファ山口FC」という「チーム」(「クラブ」ではありません)を「焼野原」にした、とみてます。
実に3年かけて理屈無き「狂気」をバラまき、レノファを「勝てるチーム」から遠ざけ続けた所業は、今思い返してみても心中穏やかではいられません。
「攻撃的でありたい」から「前からボールを奪いたい」し「後ろでボールを繋ぎたい」という「理想(やりたい)」は分かりますし、伝わりました。
が、その「理想(やりたい)」を実現する手段に乏しかった、乏しすぎた。
霜田監督の織り成す「プレス」と「ビルドアップ」は「前からボールを奪いたい」「後ろでボールを繋ぎたい」を実現できる「形」足りえなかった。
にもかかわらず、「やりたいことはハッキリしているのでやり続けるしかない」と発し続け、「形」を変えることなくピッチでは同じ光景が繰り広げられる、やられ続ける。
「決めるべきところを決める」「トレーニングからしっかりやるしかない」という敗戦コメントを何度聞いた(目にした)ことか。
「上手くいかない」という不測の事態へのフォーカス(解決策)が「形」ではなく「選手の質」にしか向かない。
これを
-「地獄の虚無サッカー」
と、私は呼びました。
「”霜田サッカー”とは”地獄の虚無サッカー”である」と、私は認識しているのです。
「理想(やりたい)」を実現し得る「形」の種類に乏しいため、問題認識が「選手の質」に向き、気が付けばチームの概念が「成長 > 勝利」に振れてしまい、その結果選手たちは試合においてまず闘うベクトルが「自分たち」に向かってしまうため、見てる側としては「なんかウチの選手たち闘ってねぇなぁ」と映ってしまう。
試合において闘うベクトルを向けるのは「相手」です。
当たり前です。
が、そんな当たり前のことですら忘れさせてしまうのが理想主義者の悪しき点。
選手たちは「理想(やりたい)」の実現に苦しみ、見てる側はその姿に心を締め付けられる。
これが、続く、変わらない、ブレない。
虚無であり、地獄。
だから「地獄の虚無サッカー」です。
ちなみに私は霜田正浩氏を「塾長」と呼んでますが、これは「霜田監督の下では若手がよく巣立つ(個人昇格する)。”霜田塾”を経た選手たちは成長するからだ」という謎の風潮が当時あり(2018年頃かな?)、これに影響を受けたからです。
とはいえ、私は当時の風潮には一切賛同してません。
塾長は「若手に出場機会を与えることにためらいが無い」とは思いますが、その若手を「育てた」という印象はないからです。
確かに塾長が指揮したチームの若手はよく個人昇格しましたが、「素材を素材のまま出荷した」という印象しかないんですよね。
例えばレノファの場合ですと、山下敬太は移籍先の千葉と鳥栖で、菊池流帆は神戸で、それぞれサッカー選手として上達(完成)していきました。
塾長が「発掘した(出場機会を与えた)」と言える選手は多いですが、「育てた」と言える選手、パッと思いつきません。
なので、私が霜田正浩氏を「塾長」と呼ぶのは、「霜田サッカー」という難解すぎるサッカーを知ろうとする苦行でしかない取り組みに挑戦する、そのために「霜田塾」に(勝手に)入塾し、彼を「塾長」と呼び、学ばせていただくから、というニュアンスからでしかありません。
私、「自称・霜田塾門下生」なのですよ。
幾度「霜田サッカー」の深淵を覗こうとして、そのたびに現れる虚無に心をやられたことか・・・。
果ては「サッカー」そのものに興味を失くしましたからね。
そんな私なので、「霜田正浩氏、松本山雅FC監督就任」という塾長の再就職という一報を受け、たいそう驚いたんですよね。
その衝撃が収まらない内に書いたのが、以前の記事です↑
-塾長、まだ舞えるんかい?!
っていう。
Jリーグの監督という就職先、もうないと思ってましたもん。
あくまでレノファ視点で、ではありますが、年々成績を下降させていた塾長が、大宮、山雅の監督に選ばれる、という出世街道を爆進している。
-あっれれ~?おっかしいなぁ~?
私の中のコナン君が疑問を感じる案件です。
もう「しゃぶり尽くした(学び尽くした)」と思い、その結果「特に得られるモノ無し!」と断定していた私ですが、どうやら経営のプロたちの目にはそうは映らなかったようで。
-「霜田正浩」には、まだ、ナニか、ある・・・!
大宮時代は「地獄の虚無サッカー」から解放された喜び、かつ、渡邉晋監督就任で浮かれ切ってしまいその動向を追えていませんでした。
今回こそは、キチンと塾長の「レノファ後」を追おう、と。
レノファでは「”強いチーム”はお約束できないが”強いクラブ”にする」「”また見たい””また応援したい”と思われるチームを作る」と、「結果」(チーム成績)にフォーカスした取り組みはされていませんでした。
が、大宮を経て、現在はあの「松本山雅FC」であります。
山雅は「昇格」を最優先のミッションとしています。
そんな山雅において、塾長がいかなる戦略・戦術を用いてミッションをコンプリートするのか。
そして、山雅はそんな塾長にいかなるサポートを施すのか。
以前山雅について記事を書いたときは、シーズン終盤の宮崎戦しか見てませんでした。
今回は「昇格」を目指す「霜田山雅」の試合を全試合見て来てますので(塾長が解任・退任されない限り今後も見続けます)、山雅の、そして塾長の奮闘を見届ける記事を連載形式で書いていきたいと思います。
連載予定のテーマですので、第1回目となる今回は、ここまでJ3第11節終了時点での「霜田山雅」に対する大まかな雑感を書くことにします。
社長、下條氏、監督、選手のコメントを拾いながらといった細かく、深く掘り下げるのは次回以降とさせていただきます。
それでは、いざ、参る。
まず、塾長の奮闘を追うに当たって、私は山雅の「新体制発表会」もキチンと視聴しておきました。
山雅の「新体制発表会」を見た感想として
-あ、山雅なんかダメっぽい・・・。
と感じたのが嘘偽りない正直なところでして。
社長の神田氏は挨拶の中で「○○出来たらいいな」というような「いいな」が多すぎました。
-その「出来たらいいな」に対してナニをしたかを語れよ
と思いながら見てました。
「出来たらいいな」という「夢」自体、質を問わなければ誰にでも語れます。
幼稚園生ですら語れます。
大人が、それも地位ある大人が公の場で発する「夢」には「根拠」が必要だと思うのです。
-その「根拠」となる「では、ナニをしたか?」が、私の聞く(見た)限りではなかった
レノファの「新体制発表会」も「トップ6を本気で目指します」と言いながらその「根拠」をまるで提示しない地獄の闇鍋会だったもんですから、まさか山雅のフロント陣がレノファの現場陣と同じ導線で動くとは・・・と驚きつつもやや悲しくなったものです。
-公の場で「根拠」無き「夢」を語る組織
そりゃ、「なんかダメっぽい」って思います。
クラブのトップが「なんかダメっぽい」もんですから、こうなりゃ次に期待したくなるのは、強化部のトップ。
ってことで、救いを求めるような目で下條氏の話を傾聴したわけですが。
ダメでした。
パワーポイントを用いながらチームのコンセプトを語ってくれたんですけども。
-背中向け杉内・・・
っていう。
どこの世界に「パワーポイントを読むプレゼン」があるんや、と。
出社初日の新社会人でもあるまいし、そらアカンて。
なんも入って来ないし、なんも響かない。
あまつさえ
-「堅守速攻」を「賢守即攻」
とか言い出すから、ごめん、笑っちゃった。
-え?遊んでる?
って。
日本人が「けんしゅそっこう」と聞いて出て来る漢字は「堅守速攻」以外ありえません。
その常識を覆すほどのメリットが思い当たらない。
山雅の選手たちは「けんしゅそっこう」をわざわざ「堅守速攻」から「賢守即攻」に脳内で切り替えなければならないわけですが、そんな労力、必要か?と。
多分、山雅の現場陣、誰もこの切り替えやって無いんじゃないでしょうか。
つまり無駄です。
漢字で遊んで「やった気になる(なってる)」だけのこと。
これが「チームスローガン」なら分からないでもないですが。
-「One Soul 積小為大(ワンソウル せきしょういだい)」
山雅の今年のチームスローガンはこれでしょ?
パッと見てなんのこっちゃらよぅ分からんですが。
-会議室で遊んでないで塾長に「完成品選手」連れて来い(与えてやれ)
と、見ていて(聞いていて)思ってしまいました。
山雅の「新体制発表会」はここから黒服たち(新しいスタッフの皆さんたち)が一斉にズラッと登壇し、誰も一言も発さず頭を下げて去って行く、とか、面白い見所がたくさんあったんですが、それは置いといて。
(これも、こんなしょうもないことに時給発生させるくらいなら各々の職場で仕事させとけよ、とは思いました。スタッフ全員呼ばなくても代表一人ずつくらい呼んで所信表明させとけばいい話)
クラブのトップも強化部のトップも「なんかダメっぽい」だったもんですから
-おいおいおいおいおい、塾長大丈夫か???
と思ってたんですよね。
ただ、塾長も塾長でフワフワした中身の無いことをしゃべる人でもあるんで
-類は・・・友を・・・呼ぶ・・・のか・・・?
っていう、「霜田山雅」を見届ける決意をした上で、開幕前から割と不穏な雰囲気を感じ取ってしまい、不安しかない出だしでした。
さて、開幕前は不穏な雰囲気を感じ取り不安だったわけですが、試合が始まってしまえば話は別です。
-ナニを語るか、ではなく、ナニをしたか。
これが大事だからです。
どんなに御大層で御立派な話をしようと、中身が付いて来なければただの詭弁。
逆もまた然り。
どんなに中身の無いことを語ろうとも、中身さえついて来ていれば、問題はない。
そういうもんだろうと思ってましたんで、「昇格」を意識したであろう塾長の取り組み、しっかと目を見開き、刮目して見ました。
そんな状態で「霜田山雅」の第11節まで見届けたわけですが。
-塾長、相変わらずだなぁ~
というのがここまでの正直な感想です。
なんか環境は変わってるのにやり方が変わってない。
「霜田山雅」の試合を見ていると、実況がしきりに「今年の山雅は前から積極的にボールを奪いに行きます」「今年の山雅はボールを(保持する取り組みを)大事にしています」と言ってるのを毎回耳にするんですよね。
で、実際見ていてそうだと思うんですよ。
-が、そのコンセプトって「後期・霜田サッカー」なんですよねぇ・・・。
「後期・霜田サッカー」とは、私の基準で恐縮ですが、「2019年後期~2020年」に該当する時期の塾長のサッカーでして。
塾長の最大の強みは「狂気プレス」から発動する「ショートカウンター」だと、私は認識しています。
2018年に一時期J2首位にまで上り詰めた(前年レノファはギリ残留したクラブです)ほどの破壊力。
私は先述の通りレノファの試合を全試合見始めたのは2019年からで、2018年は残したスタッツ(それと当時の社長・監督・選手のコメント)からでしか判断出来ていないのですが。
塾長はこの年、「去年ギリギリで残留したクラブがジャンプアップするには、狂うしかない」(意訳)として、「連動とかカッコイイことはいいからとにかく行きなさい」というイカれた号令を発し、とにかく突っ込んで行く「狂気プレス」を実現しました。
その威力たるや、「ボール奪取率」でリーグ1位を記録したほどです。
その圧倒的な「ボール奪取」で速やかにサイドに送り、そこから「クロス」(リーグ1位)を上げ、ボコボコに「シュート」(リーグ1位)を打ち、「得点」(リーグ3位)した。
この栄華を極めし「狂気」にまみれたサッカーこそ、塾長のキャリア上の最大の成果。
しかし、その翌年から様子がおかしくなってきます。
-なにやら「ポゼッション率」が上がり始めた
理由は分かりません。
2019年からやけに「後ろでボールを保持したい」「繋ぎたい」が塾長の口から発せられ、自陣・敵陣問わず、年々「ポゼッション率」が上がっていく傾向が見て取れました。
塾長が「狂気プレス」という「1局面(プレス)特化」の「武器」から「ビルドアップ」の局面にも「武器」をチームに持たせようとして、結果が伴わなくなって来た。
この時期が、私の思う「後期・霜田サッカー」です。
攻撃における「フィニッシュ」「ビルドアップ」局面。
守備における「ブロック」「プレス」局面。
全4局面の内、塾長は「ビルドアップ」と「プレス」を「武器」化しようとして、成功したことが無いのです。
だから私は、「昇格」が最優先の「松本山雅FC」にあって、塾長は発動(かつ、勝利)に特定の条件があるものの、実績のある「狂気プレス」でシーズンを戦うものだと思っていました。
そして山雅フロントはその特定の条件である、「理不尽に決められるFW」と「1、2枚なら剥がせる見込みの高い、かつ、アシスト能力に秀でたWG」を塾長に準備するのだろう、と。
ようするに山雅フロントは塾長に「リメンバー2018年」を要求し、塾長はそれに応える。
これこそが山雅の「昇格」戦略の一手であろう、と。
こんな予想をしてたんですよね。
が、実際は「狂気プレス」から「ビルドアップ」にまで手を出し始めた「後期・霜田サッカー」の延長線上で戦っているようで。
これ、非常に厳しいです。
先述の通り、塾長、このコンセプトで成功したことない、です。
下條氏が開幕前に語っていた「山口、大宮では出来なかったが、山雅でなら」という期待に沿った取り組みなのでしょうが、「昇格」を目指すなら、これ、止めた方が良かった、と思います。
塾長、「理想(やりたい)」を実現し得る「プレス」と「ビルドアップ」の「形」作り、下手なんですよ・・・。
下手、はプロ相手に失礼なので、苦手と見受けられる、にしましょうか。
今現在の「霜田山雅」の「プレス」、やべぇです。
「霜田ファミリーの残党」が織り成してる現在のレノファと問題の構造がほぼ一緒。
「前からボールを奪いに行きたい」で「”プレス”の開始位置が高すぎる」ことと、それに伴う「後ろがついて行けないのに”プレス”のスイッチを入れてしまう」の2点。
結果、「霜田山雅」の「プレス」は「ハマらねぇプレス」となってしまっています。
かつ、問題の2点のせいで前線がなんとなくプレスに行ってしまうため、後ろが慌てたように付いて行き、穴だらけの守備組織になってしまっている点も、レノファと全く一緒です。
前線が勝手にプレスを開始するので、それに付き合う中盤の選手たちがバイタルを空け、CB陣も無理に前に出ないため、山雅はよくこのエリア(バイタル)でゲームを作られてしまっています。
ここにボールを入れられ、山雅のSBが中央に絞ってきた段階でサイドに振られ、前進を許し、高く上がったサイドの選手が後方に戻って来られない内にクロスで仕留められたり。
「プレス」の自滅による失点、多いです。
行くなら行く、で、もっと「狂気」にまみれたかのように行くべきだと思ますし、行かないなら行かない、で、もっと「プレス」の開始位置を下げるべきです。
幸い、山雅のトップはあの小松です。
「プレス」においてJリーグで「大迫の次」くらいに上手い選手がいるわけですから、もうこの選手に判断を委ねてもいい気がしますが。(ホントはチームの約束事にしてあげてほしいですが)
そして、「ビルドアップ」。
もう、最悪、です。
今年の山雅の戦力を見た上で申し上げますと、「昇格」が最優先なら山雅は「ビルドアップ」なんて「やらなくていい」と思っています。
「”4-2-3-1”(”4-2-1-3”)」(直近は「”4-4-2”」)の初期配置からそのままの「形」で「ビルドアップ」を行う機会が多く、当たり前のようにSBが相手のハメ位置になり、自滅で失点してます。
山雅は突然思い出したかのようにボランチが一枚ディフェンスラインに降りて「”3+1”」の「形」を作るときがありますが、「後ろでボールを保持したい」ならこの「形」をマストにしとくべきです。
というか、脳死でいいからチームに組み込んどけよ、と思ってます。
基本「霜田山雅」がこの「”3+1”」の「形」を作った時、相手にボールを奪われずに前進出来てます。
この「形」でも前進が無理そうなら、さっさと前線に「蹴っ飛ばせば」いいんですよ。
「昇格」が最優先であるなら、「ビルドアップ」で自滅して失点を喰らうのはタブーです。
「成長するのには痛みを伴う」なんて考え、「昇格」の前では無意味かつ邪魔。
山雅の前線、強いです。
小松、国友、菊井、榎本、どう考えても強いですし、クオリティーもある。
言い換えれば、今年の山雅の「武器」はここです。
-前線4枚の「個」の「強度」
この「武器」を相手に振るい続けることが、「勝利」への、「昇格」への道だと、私は思うのです。
今は「繋ぎたい」で「ビルドアップ」時、山雅で最もクオリティーの高い菊井のプレー位置がドンドン下がって来てしまっています。
彼は最前線で「フィニッシュ」に絡むべき選手で「ビルドアップ」なんてやれせていい選手ではないです。
(菊井を「ビルドアップ」に関わらせていいほど、「フィニッシュ」に余裕が無い)
得点に関与してほしい選手をお膳立てに回してはチームの出力も火力も上がっていきません。
なので、「霜田山雅」の試合を第11節まで見た感想として
・「プレス」と「ビルドアップ」で自滅している
・山雅の戦力上の「武器」を正しく振るえていない
・「形」が戦力に合っていないので試合ごとに出力と火力が落ちている
が挙げられます。
何の役にも立ちませんが、個人的に改善点を挙げるとするならば
・ボールが相手陣地深くにあれば「プレス」開始
・ボールがハーフウェーライン前後にあれば「プレス」ステイ
・「ビルドアップ」時は脳死で「”3+1”」を作る
・この「形」で前進が無理なら前線に蹴っ飛ばす
・蹴っ飛ばせば相手陣地深くにボールが行くので「プレス」開始
なにやらまんま「黒田ゼルビア」の戦い方のような提案をしてしまいましたが、山雅の選手たちのパワー(強度)を見る度に、「昇格」に向けて、もっとシンプルに勝ち点を取りに行けばいいのに、と思ってしまうのでこうなってしまいました。
「前からボールを奪いたい」し「後ろでボールを繋ぎたい」という「理想(やりたい)」が相変わらず塾長の中に生きていることは確認できました。
そしてそれを実現し得る「形」を未だに持ち合わせていないことも分かりました。
ここに、山雅の受難を感じます。
「山口、大宮では出来なかったが、山雅でなら」という下條氏の期待に対して、塾長自身がアップデートされてなかった不運。(案の定、ではあるので、不運では片付けれませんが)
「環境が変われば同じやり方でもいつかは当たる(通用する)」というのは、あまりにも「準備不足」感が拭えないです。
現状のままですと、塾長、まるで何も変わって無いので「形」の変更に着手せず、山雅フロント陣が期待した「山口、大宮では出来なかったが、山雅でなら」を叶えることができず、地獄の虚無が訪れる、とみてます。
そして、自身の「理想(やりたい)」を実現し得るスーパーな選手たちを用意してくれなかった点。
これが、塾長の受難。
環境や状況に合わせて適宜クラブの目標達成のために「形」を変える、そんな器用なやり方を持ち合わせていない塾長。
大宮や山雅をもってしても、塾長の「理想(やりたい)」を実現できるスーパーな選手たちを揃えることができなかった。
山雅の「昇格」という目標に対してフロントが用意した戦力、一部を除いてあまりにも「成長見込み」な選手が多いです。
山雅の前線4枚は強力だと思いますし、そこにビクトルやパウリーニョが添えられていますが、かなりピーキーな選手たちで、「使い方(起用法)によっては」なタイプばかり。
ほっといても結果を出してくれる選手たちを揃えられれば、塾長のムチャ振りに自己解決してくれたと思ますが、現在の選手たちは「前向きに苦しんでる」状態。
その塾長がもたらす「前向きに苦しんでる」苦行から成果の果実を得られたチーム・選手を私は見たことが無いのですが、果たしてどうなるでしょうね。
「松本山雅FC」の「昇格」への戦略。
現場のトップたる監督に「霜田正浩」氏を据え、「霜田山雅」を形成する。
過去実績上「勝てる監督」ではない「昇格」に不向きな塾長に、フロント陣は「山口、大宮では出来なかったが、山雅でなら」を期待した。
が、塾長は何も変わっていなかった。
これによって、やり方を変えず、環境が変われば、という非常に薄い「根拠」の「山口、大宮では出来なかったが、山雅でなら」となってしまった。
私は現在までの「霜田山雅」を見て、こう思っています。
「松本山雅FC」の「昇格」に向けた戦略、山雅にとっても塾長にとっても噛み合っていない、非常にチグハグな感をおぼえます。
しかし、この感覚、私が山雅の歴史を知らないから感じるモノなのかな、とも思っています。
端から見ていて「昇格」に対してずいぶんな遠回りをしているように見受けられますが、これはひょっとしたら「そうせざるを得ない事情」というモノがあるのかもしれません。
その事情というのが、山雅の歴史を知らない私には察せないのだろう、と。
所詮私は今年から山雅の試合を全試合見始めた身。
知りえない、語れない点があまりに多いです。
こういった点を、今後も「霜田山雅の定点観測」を続けながら同時に勉強していきたいと思っています。
今回の記事で、私の見間違いや思い違いがあった点ありましたら、お手数おかけして恐縮ですが、ご指摘いただけると幸いです。
「霜田山雅の定点観測日記」の第1回目は、かなり大雑把な雑感を書く、にさせていただきました。
今後はより検証の確度を上げていくため、試合を見た印象、だけでなく、取り組みに対した「なぜ?」という「WHY?」を繰り返し掘り下げた記事にしていければ、と思っています。
もし、また私の記事を見かける機会がありましたら、ぜひお付き合いください。
それでは、また、いずれ。